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「三千分一地形図」は、1919(大正8)年の旧都市計画法の成立を契機に、都市計画策定の基礎資料として作成されたものです。
横浜市では、1921(大正10)年から「三千分一地形図」作成を目的に、詳細地形図測量に着手しています。この取組は関東大震災(1923(大正12)年)により中断を余儀なくされましたが、1925(大正14)年から改めて測量の取組を開始しました。
その取組にあたっては、欧米の都市計画の基礎資料を参考にしています。縮尺3,000分の1、東西2,400メートル、南北1,800メートルの図郭とし、当時の横浜市域を53図葉でカバーする計画でした。
現在残っている地形図を見ると、戦前では1938(昭和13)年まで詳細地形図測量に基づいて三千分一地形図が作成されていたことが確認されますが、その後は厳しい戦時体制となり、郊外部を対象とした三千分一地形図作成は陸地測量部(現在の国土地理院)が作成した一万分一地形図を三千分一に拡大して利用していることが分かります(これらの地形図には「仮製」と表示されています。)。そして1949(昭和24)年から1950(昭和25)年には、戦前に地図作成ができなかった金沢付近の地形図が作成されました。
その後、昭和30年代を中心に(1954(昭和29)年から1965(昭和40)年)、三千分一地形図が新たに作成されました。この昭和30年代の三千分一地形図は、空中写真測量により作成され、縮尺は同じ3,000分の1ですが、東西3,000メートル、南北2,000メートルの図郭で、当時の横浜市域を90図葉でカバーしています。
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| (昭和3〜28(1928〜1953)年) | (昭和29〜40(1954〜1965)年作成) | ||||||||
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