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横浜港 象の鼻地区 Port of Yokohama
象の鼻地区紹介 再整備計画
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象の鼻地区の歴史
立地・アクセス | 象の鼻地区の歴史 | 地区の変遷

 安政5年(1858年)に米、蘭、露、英、仏と修好通商条約が結ばれ、翌年横浜港が開港すると、港には東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の二つの波止場が作られました。
 その東波止場が時代とともに少しずつ形を変え、現在の象の鼻の原型となりました。
 現在の象の鼻は関東大震災後に復旧された形が元になっています。

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現況の航空写真に明治15年(1882年)の地図(緑色部分)を重ねたもの
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象の鼻地区周辺の変遷 明治15年

明治39年

昭和48年

現在
年代にマウスカーソルを重ねると、各時期の地図が見られます▲ 
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ペリー提督の横浜上陸
資料提供:横浜開港資料館

嘉永7年(1854年) ペリー提督の横浜上陸

 ペリー提督は初めて横浜に上陸しました。
 図の右側に見える木は、現在の横浜開港資料館中庭の玉楠の木です。

岩倉使節団の訪欧
資料提供:津田塾大学津田梅子資料室

明治4年(1871年) 岩倉使節団の訪欧

 欧米の制度、文化を視察するために、岩倉具視を全権大使とする使節団が横浜港を出港しました。団員には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文等が加わっていました。

横浜港からの欧米留学
資料提供:小松商会

明治21年(1888年) 横浜港からの欧米留学

 森鴎外がドイツ留学から帰国した12年後の同じ日、夏目漱石が英国留学のために横浜港から旅立ちました。鴎外は横浜市歌を作詞しています。

喜劇王チャップリンの出航
資料提供:株式会社かまくら春秋社

昭和7年(1932年) 喜劇王チャップリンの出港

 来日していたチャップリンは、この横浜港から氷川丸に乗って帰国しました。
 天ぷらが好きなチャップリンのために船室に調理器具を持ち込み、作ったというエピソードもあります。

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